専門家の先生による、英語教育に関する記事

複数の言語を理解できるということ

神奈川大学名誉教授 伊藤克敏 先生にお話を伺いました

英語を話せると世界中の人とコミュニケーションできると言われます。
ちょっとした海外旅行で現地の人と外国語でお話するのはワクワクする体験ですね。
それは外国語を話して自分が違う人間になったような気がすることや、自分とは違う環境で育った人とのふれ合いが刺激になるからでしょう。
では、複数の言語を理解できることや幼いころから外国語を学ぶことにはどんな利点や意義があるのでしょうか。

ことばは文化を映す鏡

ことばはその背景にある文化と切り離して考えることはできません。
英語を覚えることは、同時に英語圏の文化や考え方を身につけることにつながります。
英語と日本語の語順の違いを見てみましょう。日本語では「私はリンゴを食べる」と言い、英語では"I eat an apple"と言います。動詞が最後に来る日本語なら、言っている途中で「食べない」に変えることができますが、動詞が先に来る英語の場合はできません。「自分がどうしたいのか」を最初に主張する英語に比べて、周囲の状況に合わせて肯定か否定かを最後に決められる日本語は、いかにも"和"を尊ぶ文化をもつ日本人らしい言語といえるでしょう。
大切なことは、どちらの表現方法が優れているかということではなく、違いがあることを認識してどちらも尊重することです。それが異文化に対する寛容さにつながるのです。

ことばによって変わるものの見方

世界中にはたくさんの言語があり、それぞれの言語によって、それを話す人々の思考は異なると言われています。アメリカの有名な言語学者、エドワード・サピアは、弟子であるウォーフとともに発表した"サピア・ウォーフ仮説"において、「言葉が異なると音声や文字だけでなく、世界の見方、考え方も変わる」ということを言っています。英語を話しているときは英語的な考え方になり、日本語を話すときは日本語的な考え方になっているということです。
身近な例を挙げれば、方言でも同様のことが言えるでしょう。私は関東に住むようになって長いですが、出身は関西です。いまでも関西に愛着はありますが、「ことばもそうだけど、振る舞いまで関東的になってきたわね」と、ときどき、同じ関西出身の妻に言われます。これもことばとともに考え方が変わり行動が変わる例と言えるでしょう。そして複数の言語を使うことは、複数の立場(文化、考え方)を理解することにつながります。

国語への影響は?

外国語教育が母国語の習得を妨げるのではないか、という意見があります。しかし、諸外国の実情を見るとむしろそれとは反対の意見が主流と言えます。
児童外国語教育に関する研究書として世界中で広く読まれている"Languages and Children"(邦訳『児童外国語教育ハンドブック』大修館書店1999年)には、「外国語を通して母語を見直すことによって、学習者の母語に対する理解が深まる」と述べられています。
同著では、アメリカ・ウィスコンシン州の外国語教育に関するカリキュラムにもふれており、そこには外国語学習の理由のひとつとして「自国語の理解を深め、構造、語彙への感受性を高める」とあり、「母国語の理解のため」ということがはっきり記載されています。
同様の見解は、カナダの教育学者ランバートやロシアの心理言語学者ヴィゴツキーらによって古くから主張されています。少し難しくなりましたが、つまり小さいころから英語に親しむことは、同時に日本語の表現を豊かにすることにもつながるのです。外国語教育は母国語習得の妨げではなく、大きな助けになるのですね。

複数の視点と寛容な心

右脳が活発で柔軟な時期に外国語にふれることで、自分と違う文化を理解し、素直に受け入れる心を育むことができます。子どもは9歳~15歳までに自分の国や文化へのアイデンティティを身につけるので、その時期までに外国語にふれるのが良いという説もあります。カナダでは4歳から二言語教育を実施していますが、「バイリンガルの子どもは、母国語のみを話す子どもに比べて、違う国の文化や民族に対しての理解力が高い」という研究報告が発表されたことがあります。二言語の環境で育つ子どもは、ひとつの物事に対して複数の視点から考えることができるため、物事に対する考え方が柔軟になり、抽象的な思考能力が磨かれ、その結果数学や科学において優れるという研究結果もあります。ノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹博士は小さなころから漢文の素読をしていたそうですし、国際連盟事務次長も務めた農学者の新渡戸稲造氏は小さなころから英語に親しんでいたと言われています。吸収力が旺盛な幼児期に外国語にふれたことが、彼らの知的好奇心を呼び覚ます引き金となり、その後の活躍につながったことは、想像に難くありません。

Let's Wait & See (気長に見守ってあげましょう)

近年、学校でのいじめが問題になっていますが、帰国子女や、早期から外国語を学んだお子さんをたくさん受け入れた小学校でいじめがなくなったという報告を聞いたことがあります。帰国子女だった私の子どもたちを見ていてもそれは大いに感じるところです。複数の言語と文化にふれて育ったことで、自分とは違うものを排除するのではなく、お互いの違いを認め理解し合うことが大切だという心が育まれた結果と言えるでしょう。
親は子どもに実りが多く豊かな人生を歩んでほしいと願うものです。どのお子さんもとても大きな人間的成長のさなかにいますが、幼児期からの外国語教育は1日1日が異文化とのふれ合いであり、お子さんの人生に将来にわたるチャンスの芽をたくさん植えつけます。どんな形の実がなるかはわかりませんが、それを楽しみにして、目に見える成果ばかりを追うのではなく、すぐには見えにくい心の成長もWait & Seeの気持ちでじっくり見守ってあげましょう。

伊藤克敏先生近影

伊藤 克敏 先生

神奈川大学名誉教授
日本児童英語教育学会(JASTEC)顧問
英国国際教育研究所(IIEL)顧問
国際外国語教育研究会会長

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