専門家の先生による、英語教育に関する記事

子どもの「沈黙」には理由がある?

神奈川大学名誉教授 伊藤克敏 先生にお話しを伺いました。

子どもが言語を習得する過程には「沈黙の期間」があります

前号では、子どもが言語を習得していくうえでの右脳と左脳の働きについてくわしくお話しました。じつはもうひとつ、子どもの言語習得過程において特徴的な現象があります。それは、「発話することなく、理解することだけに専念する期間」があるということです。この期間は、「沈黙の期間(Silent Period=サイレント・ピリオド)」と呼ばれ、母語であるかどうかにかかわらず、子どもが言語を覚えていく過程で必然的に起こる現象です。

例えば、赤ちゃんは母親の言葉にじっと耳を傾け、それを目の前で起こることと結びつけて、その言葉の意味を理解していきます。ただし、意味を理解したからといってすぐには発話しないということは、子育ての経験のあるお母さんであれば、よくご存じでしょう。

この「沈黙の期間」に、赤ちゃんは言葉を脳にためこんでいきます。つまり、言葉を大量にインプットしながら、言葉と場面との関係を理解する能力を培っていくのです。そして、その能力が十分に養成されてから、徐々にアウトプットを開始していきます。おとなしかった子どもが、あるとき突然、溢れるように言葉を発するのを目の当たりにした方も多いのではないでしょうか。

私はかつて、家族とともに1年間アメリカのボストンで暮らしました。当時13歳、12歳、8歳だった3人の娘たちはその間、現地の学校に通っていました。いちばん下の8歳の娘はさっそく近所に友達ができ、よくいっしょに遊んでいましたが、最初の数週間は"Hi!"、"Yes."、"No."、"Good-bye."といった「決まり文句」以外は話そうとしませんでした。一時は環境の変化が原因で言葉が出なくなってしまったのではないかと心配したほどです。

しかし数ヵ月後、娘は急に見事な発音で友だちと話し始めたのです。彼女はそれまでの間、友だちの言うことにじっと耳を傾け、言葉を大量にインプットし、理解する能力を育てていたのですね。いったん話し始めると、それまでのことがうそのように「話す」ことに積極的になり、親の私が目を見張るほど英語力を伸ばしていき、子どもたちとの会話を楽しむようになりました。

インプットの環境を十分に整えて自然に発話したくなるよう見守りましょう

DWEで英語学習に取り組んでいるみなさんから、「DVDの内容は理解しているみたいだけど、英語を全然話そうとしないから、本当に身についているのか心配」という声を聞くことがありますが、そういう状況にあるお子さんはまさに「沈黙の期間」にいます。つまり、お子さんは聞くことに専念して、脳に英語を蓄積しているのです。ですから、親御さんは「話す」ことを無理強いするよりも、インプットの環境を十分に整えて、自然に発話したくなるよう温かく見守ってあげるといいでしょう。「沈黙の期間」の長さには個人差がありますから、くれぐれもあせりは禁物です。

言葉の理解が進み、アウトプットの準備が整えば、"Hello!"、"Thank you."、"How are you?"といった、"場面"に直結した決まり文句が自然に出てくるようになるでしょう。そうなってきたら、英語を話す必要性を感じる場に身を置くことが、さらなる発話のきっかけにつながります。英語を話すことは楽しい、もっと英語を話したい、そう思えるような機会をたくさん与えてあげましょう。少々の間違いは自然と自分で治していきますから、「間違いは進歩へのステップ」と思い、楽しませてあげることです。WFクラブのイベントやテレフォン・イングリッシュ(TE)などはまさに絶好の機会ですから、ぜひ積極的に活用しましょう。

小さいころから外国語にふれることで母語や自国文化への理解も深まります

子どもの言語習得能力が素晴らしいということはよく理解できていても、「外国語を早くから学習すると、日本人としての意識が希薄になり、日本語の習得にも悪影響を及ぼす」という批判を耳にして、不安に思う方もいるようです。しかしながら、心配は不要です。むしろ、子どものころに外国語に接することによって母語や自国文化に対する理解・関心がより高まるという研究結果は世界各国で数多くありますし、私自身の子育て経験からも、それは断言できます。

「文化心理的枠組み」と呼ばれる、育った文化のなかで身につく価値観や考え方は9~15歳くらいまでに固まると言われています。ですから、その時期までに外国語や異文化にふれ、柔軟な価値観や考え方を身につけることは、さまざまな国の人と交流する機会が多くなっていく子どもたちの将来にとって、非常に大切なことです。そして、外国語や異文化を理解することは、結果的に母語や自国文化を客観的に見つめて深く理解することにつながるのです。

簡単な例で言えば、英語圏のお店に入ると"Hello!"や"May I help you?"と話しかけられますが、日本では「いらっしゃいませ」が一般的ですね。英語ではお客さんにあいさつの形や質問の形で話しかけ、日本語では歓迎の気持ちで呼びかけています。このような簡単な違いを知ることでも、日本語や日本の文化を客観的に見つめ直すことにつながります。言葉は単純に翻訳できるものではなく、それぞれの言語がもつ文化が反映されているのですね。

お子さんがなかなか英語を話さないことを気にされている親御さんも、どうか、心配されるよりも、いまはしっかりインプットしている時期なのだと考え、楽しい英語経験、異文化経験をたくさんさせてあげましょう。親御さんがあせらずにゆったりした気持ちでいることで、お子さんも無理せずにインプットやアウトプットを楽しめます。そして、それこそがお子さんにとって自然な英語習得過程なのです。

伊藤 克敏 先生

神奈川大学名誉教授
日本児童英語教育学会(JASTEC)顧問
英国国際教育研究所(IIEL)顧問
国際外国語教育研究会会長

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